さて、本日は、個人投資家が投資信託を行う上で、リーマンショックから学ぶことを考察していきたいと思います。 分散投資の重要性 まずは、なんといってもこれだと思います。 リーマンブラザースは、サブプライムローンに傾注してしまった結果、住宅バブルが…
今日は、リーマンショックの5回目です。 とうとう、リーマンブラザーズの崩壊に言及していきたいと思います。 リーマン・ブラザーズがサブプライムローンを多く保有していた理由 リーマン・ブラザーズは、サブプライムローンが発端で破綻することとなります…
さて、本日は、リーマンショックの4回目です。 モノラインの格下げが始まる。 2008年1月18日に、証券化商品を保証していたモノラインと呼ばれた金融保証会社が資本調達難から格下げされ、証券化商品全体の価格下落に拍車をかけはじめます。 モノラインは、…
本日は、日本経済史、リーマンショックの第3回となります。 サブプライムローンの崩壊 2006年後半から住宅価格は下落し始めます。 実は、サブプライムローンの中には、当初2年間超低金利で貸し出し3年目から高金利の変動金利に移行するものや、当初2年間…
さて、今日は、前回のリーマンショックの続きの考察をしていきたいと思います。 なぜ、アメリカで不動産バブルが起こってしまったのか? 前回の記事で、「住宅ブームが去ると住宅価格が下落。サブプライムローンからプライムローンへの借り換えができなくな…
さて、今日は、リーマンショックについて考察していきます。 小渕内閣の景気対策で景気が浮上 小渕内閣は、日本経済の再生に向けて以下のような積極的な施策を実施しました。 これらの政策は効果を発揮し、景気は概ね下げ止まりました。消費者や企業のマイン…
さて、本日は、ITバブルの勃興と崩壊の続きです。 ※ 前回の記事はこちらをご確認ください。 ITバブルの勃興について 日本のITバブルは、Windowsに代表される「インターネット、e-コマースの普及」や「低金利政策」、「政府の支援」などがあり、膨らん…
今日は、1999年ごろから発生した「ITバブルの崩壊」について考察していきます。 日本のITバブルの勃興について 日本のITバブルは、Windowsに代表されるインターネット、e-コマースの普及や政府の支援などがあり、膨らんでいきます。 インターネットの…
さて、本日は、住専問題について、前回の引き続き考察していきます。 前回の記事は、以下の記事をご確認ください。 崩壊の序章は、銀行や住宅金融公庫などの住宅ローンへの浸食 前回、考察した通り、もともと、個人住宅ローンの専用会社として設立された住専…
今回は、住専問題について考察していきます。 みなsなんは、「住専」という言葉をご存じでしょうか? バブル崩壊を経験している年代の方たちはご存じだと思いますが、若い方たちはあまり知らないかもしれません。 ただ、バブル崩壊による発生した大きな問題…
北海道を地盤とする唯一の都市銀行 北海道拓殖銀行は、1899年(明治32年)に制定された北海道拓殖銀行法(拓銀法)に基づき、特殊銀行として1900年(明治33年)2月16日に設立されました。 具体的内容としては、拓殖債券を発行して道外から資金を調達し、道内…
バブル崩壊による企業倒産ドミノ バブル崩壊による銀行の「貸し渋り」や「貸しはがし」により、企業の倒産は加速度的に増えていきます。 特に、不動産業界の倒産は顕著であり、バブル景気に支えられて89年は年間285件にとどまっていましたが、91年は1,156件…
今日は、バブル崩壊後に発生した銀行の「貸し渋り」と「貸しはがし」の仕組みについて、考察していきます。 「貸し渋り」とは、銀行がお金を貸すことを渋ること 貸し渋りとは、銀行が企業に対する融資を渋ることです。 貸し渋りでは、企業サイドに返済能力が…
本日は、バブル崩壊について、考察していきたいと思います。 バブル崩壊のきっかけは、総量規制と公定歩合の引上げ 前回の記事で考察した通り、バブル崩壊のきっかけは、1989年から1990年に行われた総量規制と公定歩合の引上げによるものでした。 総量規制に…
今日は、バブル崩壊にいたる地価の暴落について考察していきます。 前回の記事で考察したように、実態を伴わない株価や地価の高騰に危機感を感じた日銀は、89 年半ばから金融引き締めに転じていきます。 金融については、公定歩合の引上げを6回にわたり行う…
今日は、日本のバブル景気からバブル崩壊までについて考察していきます。 バブル景気は、株価の高騰と土地の高騰 バブル景気は、株価の高騰と土地の高騰によって起こったといわれています。 このどちらも、バブル崩壊に向けては、崩れていくこととなります。…
みなさん、こんにちは。 今日は、日本のバブル景気について考察していきます。 きっかけは、「プラザ合意」!? プラザ合意と言えば、日本の不況の始まり、と言えるような合意だったと筆者は認識していました。 アメリカの景気をあげるために、日本が円高に…
失われた30年の原点であるプラザ合意 1985年に行われたプラザ合意、この合意は、日本経済史において非常に大きな意義を持っています。 この時代は、バブル崩壊や日航機墜落事故などの非常に大きな出来事が起こっていますので、あまり大きな出来事として…
みなさん、こんにちは。 今日は、日本の戦後の為替相場の歴史について考察していきます。 オイルショック後のニッポン経済は好景気!? 日本経済は二度のオイルショックを、自動車や半導体への産業構造の転換で乗り越えてきました。 ※その状況は、以下リンク…
みなさん、こんにちは。 今日は、日本の戦後の為替相場の歴史について考察していきます。 ニクソンショック後の日本の対応 なんとか固定相場制を維持しようとしたスミソニアン協定 追い打ちをかける第一次オイルショック はるかに影響が軽微だった第二次オイ…
みなさん、こんにちは。 今日は、日本の戦後の為替相場の歴史について考察していきます。 戦後日本の急成長は政府主導による計画経済「ビッグプッシュ型」経済によってもたらされた! 通商産業省の影の大活躍!神武景気の到来 「国際収支の天井」が経済成長…
為替相場 みなさん、こんにちは。 今日は、日本の戦後の為替相場の歴史について考察していきます。 ドッジラインによるインフレからの脱却、固定相場制の導入へ 「超緊縮予算」 「1ドル=160 ~600円であった複数レート制の改正による、1ドル=360円の単一為…
日本の為替相場の歴史 みなさん、こんにちは。 今日は、日本の戦後の為替相場の歴史について考察していきます。 日本は第二次世界大戦に敗北。GHQの支配下に。 あまり知られていないが、戦後、日本はハイパーインフレに見舞われる。 ハイパーインフレの原因…
為替相場 みなさん、こんにちは。 今日は、戦後の為替相場の歴史について考察していきます。 現在の為替システムは戦後から始まった 戦後は、ドルが強くなる金ドル本位制!? 日本の戦後は、今では考えられない1ドル=360円!? 金ドル本位制が崩壊した…