みなさん、こんにちは。 今日は、日本の戦後の為替相場の歴史について考察していきます。
オイルショック後のニッポン経済は好景気!?
日本経済は二度のオイルショックを、自動車や半導体への産業構造の転換で乗り越えてきました。
※その状況は、以下リンクからご確認ください!
takewoinvestment.hatenablog.com
アメリカは、双子の赤字で苦しんでいた!
当時アメリカは、レーガン大統領の新自由主義の経済政策を進め、「小さな政府」を掲げて減税による景気浮揚をはかり、国の社会福祉関係予算の大幅削減するという「レーガノミクス」を進めていましたが、一方で国防費は削減しなかったので財政赤字が膨らんでいきました。
また上述の通り日本経済の復活や西ドイツの経済力が伸張したことから、工業製品の輸出も減少していきました。
その結果、1914年から続いた債権国(債権が債務を上まわる、つまり輸出が輸入を上まわる状態)から債務国に転落してしまいました。
それは財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」といわれて、アメリカ経済の凋落を象徴することとなりました。しかし、アメリカ経済が落ちこんで購買力が低下することは、日本や西ドイツにとっても歓迎すべき事ではありませんでした、資本主義先進国首脳は共倒れを防ぐために、アメリカを支援する必要があると考えるようになりました。
アメリカ経済を立て直すための「プラザ合意」
1985年にアメリカのニューヨークにあるプラザホテル(プラザホテルはニューヨークのセントラルパーク近くにある高級ホテル。1986年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されました。ドナルド・トランプ氏がオーナーを務めていた時期もあります。1991年には映画『ホーム・アローン2』のロケ地にもなりました。ほかにもドラマ『ゴシップ・ガール』や『華麗なるギャツビー』など、複数の映像作品に登場します。)で、日本・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスの先進国5か国が集まり、これまでのドル高是正をするために、G5各国での協調行動を行うためへの合意であるプラザ合意が発表されました。
日本からは、竹下登大蔵大臣が出席されています。
プラザ合意を簡略的に説明すると、当時から基軸通貨であったドルに対して、このプラザ合意に参加した各国の通貨を10~12%の振れ幅で切り上げたいということでした。
そして、それを実現するためにプラザ合意に参加した各国は外国為替市場において協調介入を行うといった内容でした。
協調介入を行うことで、米ドル高となり、対照的に円安となっていきます。
この影響で、日本は輸出が低迷、国内景気は減速していくこととなります。
まとめ
さて、オイルショックからプラザ合意までいかがでしたでしょうか?
世界経済は、アメリカを中心に進んでいることが良くわかると思います。このように歴史を理解することで、次の投資信託の肥やしにしていければサイコーですね。
次回は、プラザ合意からバブル景気について考察していきます。