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日本の為替相場の歴史を徹底解説!①(戦後①)

日本の為替相場の歴史

みなさん、こんにちは。 今日は、日本の戦後の為替相場の歴史について考察していきます。

日本は第二次世界大戦に敗北。GHQ支配下に。

皆さんもご存じの通り、日本は1945年に第二次世界大戦に無条件降伏のうえ敗北します。

その後、日本はGHQに支配されることとなります。

GHQとは、「連合国軍最高司令官総司令部」といい、ポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施した連合国軍機関です。

このGHQ支配下のもと、日本は戦後復興をしていくこととなります。

あまり知られていないが、戦後、日本はハイパーインフレに見舞われる。

日本は、実は、戦後すぐにハイパーインフレに見舞われます。

ハイパーインフレとは、物価が短期間に異常に上がっていくことです。

実際に、1934~36 年卸売物価ベースでみると 1949 年までに約 220 倍、1945 年ベースでみても約 70 倍というハイパー・インフレとなりました。

たとえば、缶ジュースがいま130円だとすると、この当時は、数年で缶ジュースが28,600円になるということです。

現在の状況で考えると、とんでもないことが起こっていたということが分かりますよね。

ハイパーインフレの原因は、物資不足と財政悪化

日本で戦後にハイパーインフレが起こった理由として、まず「生産力の低下」が挙げられます。戦争は多くのモノを失わせます。

食べ物もない、着るものもない、住む場所もない、そもそも戦死した人が多く、人も少ない状況で、戦争も終わってしまったので軍需産業を中心とした産業もなくなってしまいました。

その結果、日本の生産力は急激に落ち込み、さらに、1945年は凶作の年となり食糧不足にも陥ってしまいました。

こうして物資や食糧の不足により、国内の需要が供給を大きく上回り、急激に物価が上昇していったのです。

そしてさらにハイパーインフレの引き金となったのが、戦後の財政悪化です。

戦後は、お金がありません。

日本は第二次世界大戦のためにすべてをつぎ込んでいました。

あるものすべてだけではなくて、借金も国債という形で多くしていました。

旧大蔵省が戦後まとめた資料によると、太平洋戦争(日中戦争を含む)における名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7600億円とされてています。

日中戦争開戦時のGDP(厳密にはGNP)が228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると何と33倍にもなります。また、国家予算(日中戦争開戦当時の一般会計)に対する比率では280倍という天文学的数字になります。

これが国債でまかなわれることとなり、さらに戦後にもGHQ連合国軍総司令部)主導で様々な復興が行われ、その資金も多額の国債により調達されたのです。

日本政府が発行する大量の国債は、国の中央銀行である日本銀行が直接引き受ける形で購入します。その購入代金は、日銀がお金を供給して作り出します。

日銀が大量にお金を供給することで、通貨としての日本円の価値は急速に下落し、モノの値段は相対的に上がっていきました。

円安が進んで、海外からモノを輸入するときに輸入額が膨らんで輸入インフレが起こり、さらに通貨の価値が下がってインフレが進んでいったというのが今回のハイパーインフレの原因と言われています。

次回は、このハイパーインフレの解決をするGHQの思惑から

本日は、ここまでとしたいと思います。

日本が大変なこととなっています。缶ジュースが約30,000円になる世界です。

とても筆者は生きていけないでしょう。

このハイパーインフレをどのように解決していったのかを次回考察していきます。

それでは!

 

 

 

 

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